日暮ニッチな部屋

Tenbellstaが贈る、趣味と思想の物語。”ひぼにっち”でも”にちぼにっち”でも”ひぐらしにっち”でも”にっぽにっち”でもお好きにどうぞ

話したがり、知ってもらいたがりが避けられる。おじさん構文が嫌われる所以

おじさん構文(文章)”は時々話題に挙がり、気持ち悪るがられる一方で嘲笑のネタにもなり、現在では主にSNS等で出番の多い文章構成の在り方です。

 

これの代表的な特徴と言えば(順不同)

・語尾のカタカナ化

・過度な絵文字の使用

・無駄な自分の状況語り

・下手から出る顔色伺い

・自家ボケとそのツッコミ

・唐突な褒め、誘い

・オヤジギャグ

・テンションがやや高い

などが含まれ、取り上げられることが多い印象

こうしたものは自身も体験したことがないため決めつけの部分もあるかもしれません。また厳密にはもっと特徴がある可能性もあります

 

なぜいけないのか

男性のTPOの曲解(無自覚)からくる女性への嫌がらせとして成立したからです。

不必要な内容が主だっていること、視覚的なインパクトが強いこと、下心気配が感じられる不自然な配慮などが気持ち悪さを醸し出してしまう。

そしてそれらが不快感に直結したことから発信され話題になり、嘲笑されたり嫌悪されたりとなったというのが想像に難くない。

 

その中でもこうした”おじさん構文”が受け取りてから見て嫌悪する対象であっても、傍から見れば「面白いな」と思うのが一般的反応と言えましょう。

事実私もそうでした

あくまでも女性に対して閉鎖的に行われたことが何よりの問題ということなのです。

 

おじさん構文だけが不快であるわけでもない

ただこの話は別段”おじさん構文”だけの話ではありません。

文面でやり取りができる媒体があればあるほどそこに文化ありで、年齢層や友達付き合いなどでも多かれ少なかれ影響を受けて周りからすれば”異様”な文章というのが誕生するものです。

やけに企業メールのような文を送ってくる者もいれば、主格が省略されて察しずらい文を書く者もいる。大変長い文を改行も句読点も打たずに垂れ流す者もいる。

私も傍から見れば異常かもしれない

詳しく伝えたいからこそ文が長くなり、思いや気持ちを知ってほしいからこそ余談や括弧を付けて補足したがる

自分のことをもっと知ってもらたいからこそ近況をあらわにし、無駄に話したがる。

それがおじさん構文に自分も近しいのではないのかと思ったりしたのです。

 

ただ私自身はこうしてブログを書いている身として文章の表現というのはいろいろな可能性があると考えざる負えません。

このおじさん構文でも適切に扱うことができれば新しい貴重な表現方法になると信じています

 

dic.nicovideo.jp(最終閲覧2021/09/28)

アトガキ

記事を書いていると笑い時や泣き時、など感情を表現したいときがあります。

そのために”(笑)”、”(爆)”、”草”、”www”、”LOL”、”(´;ω;`)顔”などいろいろな書き方がありますし、自身もしばしば使ったりします。

また”「」”でセリフ調を口走ってみたり”()”で自身の分に補足やツッコミを入れたくなる時もあります。

しかしこれは「自分でそう伝えたら面白いだろう」、「共感してもらえるだろう」と思うからこそするのであって、周りからすれば冷ややかに見える可能性は十二分にあるんだなと私自身自覚しこの記事を書いたのです。

 

また癖で ”、” や ”~ですが” を入れがちだったりとそういうやり方を押し通しているというのは前々から自覚があり、改善すべきかどうか自身で判断できないことも多い…

そういう中でTwitterにあった「ラーメン評論家」の話題を見てついつい書きたくなってしまいました。

無自覚や不意に絵文字がなくても似たようなそれをしてしまっていたかもしれないという結構な衝撃は、たとえ実際のおじさん構文でなくても憂慮すべきことです

そんな恐怖心は今、これから先呪いのように付きまとう気がしてなりません。 

 

いやもう気にし過ぎなのはよく分かってるんですがね

でも何かいい言い回しってありませんか?

 

不快不愉快 知らぬのは 与える側のみ自覚なし 気づかなければ 村八分