はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
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ふむ。
インターネット文学とは何なのか?定義がないらしく、
書きにくいのですがせっかくなのでつらつら
インターネット×文学と言えば青空文庫ですが、インターネット内にあるあらゆる文字の塊そのものがこのインターネット文学と言ってもよさそうですね。
ブログでも動画でもネットに公開されているコンテンツは全て多かれ少なかれ誰の目に触れていていて
その人の趣味・趣向・仕事とかいろいろな”見えないもの”を含んだり含まなかったりする、実体すらない非常にぼんやりとした世界が確かにそこには広がっているわけです。
ネットの変遷は目まぐるしく、曖昧なものが曖昧なまま過ぎ去っており「便利だから」、「面白いから」と情報にあふれて久しい今日この頃。
バーチャル世界でありながら人が作り出した世界であるがゆえに、このリアルそのものの出来事さえもすべて内包され、公共物でありながらそこには人々の生活、生き様が垣間見え、一種の巨大都市的に存在しているのは間違いなく、そのためここでは同時に文化もはぐくまれているのです。
それを綴るものが、構成する文章がいわゆるインターネット文学なのかなという勝手な解釈です。
こうして解釈してしまうと、おそらく文字化けでも文学扱いなんですよね。
まさしく表現は自由なり
伝えるための文章ではありますが、時に打ちミスだけでなく相手に間違った伝わり方をするときもあり、機械的なこのタイプどもが実に人間らしさを持っていることになんだか不思議な気持ちにさせられます。
ネットは公共的なものである。とネット・リテラシーのなんやらで学校でもさんざん啓発させられることではあります。
無駄なことは書くな言われるということ、トラブルも多いということ。
ネットはいわば繋がるために生まれたものであるためこうした相手を気遣う”モラル”が重視されて然るべきではあるでしょう。
ただ現代のネットはかなり当時を知らずとも自由度の高いものになったという認識が、
プリキュアが変身呪文をいきなり言えるようになるように、湧いて出てきます。
この自由さがまあ心地よくて
影口、愚痴をぐちぐち言いたくなったりして、モラル度外視の裏垢を作り出すんですよね?(急に感情に走る)
私は裏は作らない派なので表裏一致してブログもツイッターもしていますが、たまによく愚痴りたくある時もありますよ。人間だもの
でも愚痴れないんです。自分という発言者には裏も表もないから。それをしたらだめだと何だかはばかられるから
あんまりにも裏表の話に関係ないですけど最近ではネット発言の規制的なこともあるじゃないですか(暴言とかのね)
これが良いとか悪いとか抜きにして”自由”な世界が外的干渉でちょっとずつ狭くなってる、パイレーツ・オブ・カリビアンでも「もはや世界は変わった、世界は狭くなったのだ」と発せられた(うる覚え)ように感じたところもあります。(それってあなたの感想ですよね?)
事実、コミュニケーション上の地理的境界は縮まって狭くなってるといっていいはず。
洒落や冗談が通じにくく(自分もそうですが)なっている世の中ですし、長い文章が読みづらいと毛嫌いされる時代だと思うのでブログの在り方もずいぶん手狭なのかなと思うこともあります。
とはいえ、こうしてとりとめのない内容を簡単に発信できる環境(国)、そしてその時代に生きれていることに感謝しつつ、言葉遣いがいつしかパラダイムシフトするごとくネット文学のこれからの繁栄を願う次第でありますね。
どうかブログが廃れず、いち発信ツールとして恒久に続きますように…いやでも発展してもらわなければ困るので恒久はなしで(笑)
ぜひ末永く
深夜帯 思いつくほど 腹が減る