前回といっても6日なんですけれども、広島の原爆投下があり、さらに今日は9日で長崎に原爆が落ちた日ですね。
記事を書くまでこの日付の感覚を考えたことが少なかったんですが、近すぎず、遠すぎずといいますか、意外に落とされるまでの間隔があるとは
この2か所に落とされた原爆はそれぞれ使われた…なんというのでしょう?
素材?爆発物?のウランとプルトニウムの違いがあって
広島にはウランのリトルボーイ、長崎にはプルトニウムのファットマンとかいうあだ名があることも思い出してきました。
教科書にも書いてあるのにね。
それにしても馬鹿にしているかのようなあだ名ですね。アメリカ人のセンスはよくわかりません。
そういえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンは1作目で1.21ジゴワットの電流のためにプルトニウムを使っていましたな。
残念ながら私は長崎まで行ったことがないので、記念館があるのかすらあまりに知らなすぎましてこんな状態で記事を書くのは大変申し訳ない。
だいたい、広島には当時の焼け落ちた建物が残っていることや当時大統領だったバラク・オバマさんが来られたことなどで注目されたのはやはり広島でした。
長崎ももう少し取り上げてほしいところではありますね…(おまいう)
つまるところ、伝えようにも形がなければ人は忘れやすくなってしまうということでしょうか?
悲しいものです。
ただし、実際には襲撃予定地も複数あって天候の都合やらで変更があったという話をTVで昔見ました。
そう思えばどこに落ちえてもおかしくなかったようなものでしょう。
もちろんいずれも人口密集地域だったでしょうけれども
実験みたいな感覚で…言うまでもない非人道の極みでしょうよ
アメリカにしては戦勝国ですから、「正義の二発」でまかり通っておりますが日本からしたらたまったもんじゃあないのは今も昔も変わっていない。
いつの時代どこの国でもこうした大量殺戮は起こってきました
そのたびに人は嘆きますが、こうしたものは国同士の利害関係とか「勝てば官軍負ければ賊軍」とかそういうので歴史は作られています。
matsubaraさんの記事を見つけましたが、投下にはチャーチルの思惑があった可能性もあるようですね。元の動画がなくなっていますので確認しようがないのですけれども。
ただ戦争は国益も兼ねるのでそういったことがあっても別段不思議ではありません。
人情だけで語れないのもまた戦争なのです。
これから先も基本変わることはないでしょう。
現在も我が国周辺の治安もあまりよろしくない感じ。戦争はいやでも参戦国になるかもしれませんし、そうでなくても火の粉がかかってこないとも限りません。
忘れたころに悲劇は繰り返されるものですよ。大体ね
またこうしたことが繰り返されないように何ができるかわからんですけど、私たちが何とかしていくべきと無責任に思うのでした。
前回はこちら8月6日の広島の記事です
落ちてゆく 雲の隙間 ひかる闇